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●2月29日
2008年SUPER GTの最初の2レースで勝ったクルマはチャンピオン争いから脱落する! 不可解なルールの実施が決定

Photo:Sports-Car Racing

 「SUPER GTはプロレス」と言われるように、速いクルマに足かせとなる重りを積んで、遅いクルマと速さを調整することによって、拮抗したレースを実現している。しかし、素晴らしい速さによってレースで好成績を修めたクルマに重りを積むだけでなく、2006年には同じタイヤを履くクルマを1つのグループとして、そのグループのクルマが好成績を修めた場合、次のレースから、そのグループの総てのクルマに大きな重りを積む不可解なレギュレーションを施行した。
 その結果本来速かったクルマの戦闘力はガタ落ちとなって、不可解なタイトル争いが繰り広げられた。

 もちろん、2007年は、この不可解なレギュレーションは撤廃された。しかし、その結果NSX-GTが圧倒的な速さを背景として、シリーズチャンピオンに輝いた。
 NSX-GTはタイトルを獲得したことによって、NSX-GTにハンデが課せようとするロビー活動が行われていた。その結果、20008年のSUPER GTに参加するNSX-GTは50kgのウエイトハンデを積むことが決定した。
 ここまでは、誰でも予想出来る内容だ。あれだけ速かったNSX-GTであるから、シーズンが進むにつれて、優秀な童夢のエンジニア達が50kg(−1段階)のハンデを跳ね返すことが期待されていた。
 ところが、とんでもないルールについて話し合いが行われていたようだ。

 そのルールとはGT500のトヨタSC、ホンダNSX-GT、ニッサンGTRの3車だけを対象として実施されるもので、2008年に行われる最初の2つのレース、3月16日の鈴鹿と4月13日の岡山で、これらの3車の中の1つが、ある一定以上の速さを示した場合、シーズンを通して最大60kgのウエイトハンデを積むと言うものだ。

 このルールの恐ろしさは、同一形式のクルマが同時に2台表彰台(3位以内)を獲得した場合、無条件で適用され、その後、そのクルマが遅くなったとしても、2008年のシーズン終了まで重りを下ろすことは出来ない。
 開幕戦の鈴鹿だけで特定する場合と、鈴鹿と岡山の2つのレースの結果で特定する場合の2つのパターンがある。

 もし、間違って鈴鹿と岡山で、同時に2台が表彰台に上ってしまったクルマは、事実上2008年のタイトル争いの権利は無くなってしまう。また、2008年のSUPER GTは、第6戦鈴鹿1000kmまでの6レース中4レースが有効ポイントとなる。つまり、最初の2つのレースは無いモノと考えて、好成績を上げないことを目標とすることだろう。

 エンジンの負担を減らすため、適当な小さいリストリクターでも取り付けてエンジンの負担を減らして、ドライバーのトレーニングのため、コーナーを目一杯攻めることを指示するメーカーが表れることだろう。

 まさかこのルールが、そのまま施行されるとは思ってなかった。しかし、2月25日正式にブルテンとして発表された。非常に難解な数字が並んでいるため、詳しくは、そちらを見てもらいたい。

 ちなみに、1994年JGTCとしてスタートした時からGTAの事務局長を務めて、昨年GTAの体制が変わって、混乱の責任から事務局長を更迭された後、レースダイレクターとしてGTAに留まっていた人物は、先週更迭された。

●2月27日
ポール・フレール永眠

 2月23日ブラッセルでポール・フレールが亡くなった。享年91才の大往生だった。
 1917年ベルギーで生まれたポール・フレールは、第二次世界大戦が終了して、モータースポーツが復活した時、既に30才を迎えようとする時、本格的にモータースポーツに参加するようになった。

 1952年35才の時F1GPにも参加するようになった。しかし、ポール・フレールが、その能力を発揮したのは、ルマンを中心とするスポーツカーレースだった。1950年代後半ルマンのトップドライバーとして大活躍を披露した。
 1957年にはベルギーチームからジャガーD Typeで参加して4位。そのポテンシャルを見込まれて、1958年にはポルシェAGから、チッポケな718RSKで参加して4位(クラス優勝)。1959年にはアストンマーティンDBR1/30で参加して2位。1960年にはフェラーリテスタロッサTR59/60で優勝した。

 フェラーリでの成功によって、ポール・フレールはレーシングドライバーを引退して、ジャーナリズムの世界に身を投じた。
 モータースポーツだけでなく、ロードカーのジャーナリストとして活躍した。日本ではカーグラフィック誌への執筆したことによって、PF先生として一躍有名となった。我々若輩の世代にとっては、レーシングドライバーとしてのポール・フレールより、PF先生として、知っている方々も多いだろう。

 ポルシェ関連の著書が多いが、世界中のメーカーやレースのオーガナイザーがプレスコンファレンスを開く時、ほとんどの主催者は、最初の質問の機会をポール・フレールに与えていた。ポール・フレールの質問は、ほとんどの場合社交辞令はではなく、本当に知りたいことを求めていた。そのこともあって、他のジャーナリストも心得ていて、ポール・フレールが質問するまで待って、ほとんどの場合、彼の質問の網の目を拭って、漏れてしまった内容を聞くことも多かった。

 1999年ルマンでメルセデスが空を飛んだ時、メルセデスの若手の広報マンであるアレクサンダー・ヘイネンは、ポール・フレールの側でマイクを持って待機していた。そして、ポール・フレールは、「なぜ、空を飛んだのか? 危険を知らなかったのか?」と、いきなりPF先生らしからぬ、きつい質問をノルベルト・ハーグに浴びせた。

 我々若輩者にとっては、いつもニコニコと笑顔を絶やさないPF先生だった。近年は、顔は覚えていても、名前を忘れていることが多いようで、ひとしきり話しをした後、名前を聞かれることも多かった。

 ポール・フレールが亡くなった後、直ぐにACOとポルシェは、哀悼の意を表明した。
 ACOは、21世紀になってから、ポール・フレールにスピリット・オブ・ルマン賞を進呈している。ポルシェにとっては、決してメジャーではなかったポルシェの存在を、世界中で認知させた人物でもあった。

 謹んでご冥福を祈ります。

●2月19日
ACOが2008年ルマンの55台のエントリーリストを発表 日本からのエントリーは3台、童夢、Terramos、そして東海大学!

 本日ACOは2008年のルマンのエントリーリストを発表した。
 LMP1クラスはアウディとプジョーがそれぞれ3台ずつ参加する他、有力なコンストラクター勢は、ペスカロロの2台、ORECAクラージュの2台、童夢の1台が登場する。
 ペスカロロが手強いロールセンターが、ORECAクラージュはTerramosと東海大学の2つの日本チームも走らせる。東海大学は12月に発表した通りだが、タイヤがヨコハマに変わった。
 ほとんどのスポーツカーファンが初めて耳にするTerramosは、寺田陽次郎氏の会社で、昨年JLMCでM-tecが走らせたクラージュLC70/無限を手に入れたCars東海と共に参加する。

 クリエイションは、AIMエンジンを積む1台とオートコーンの1台が参加する。話題のシュロースレーシングは、アストンマーティンGT1エンジンを積む“屋根付き”のローラB08-60とジャドエンジンを積む“屋根無し”のローラB06-10のエントリーを認められた。ローラ勢は、AERの4リットルV8ターボを積むチェンバレンが連続出場を実現した。
 もう1つの“屋根付き”のLMP1カーであるエスカディ-イプシロンも1台が登場する。

 LMP2クラスは、いよいよポルシェRSスパイダーが登場する。ザイテックは2台、エンバシーもエントリーが確定した。ペスカロロと合併したサルニエレーシングもペスカロロLMP2カーを走らせる。Speedy Sebahの“屋根付き”ローラB08-80も登場する。ローラ勢は、クルースモータースポーツはマツダエンジン付きのB07-40を走らせる。

 GT1クラスは、アストンマーティンとコルベットのワークスチームが姿を見せる。ORECAからサリーンを導入したラルブルコンペティションとアストンマーティンを走らせるFIAGTチャンピオンのヴィーターフォン、ルック・アルファンのコルベットが登場する。ランボルギーニは、これまで、フェラーリやアストンマーティンで活動していたロシアのSpartakによるチームがムルシエラーゴを登場させる。
 GT2クラスは、とうとうポルシェがたった3台となって、フェラーリが過半数の8台を占める。残る2台はスパイカーだ。

 今年のACOの選択は非常に明快で、昨年参加を認めてしまって、様々な波紋を呼んだ怪しいエントリーの総てを拒否する一方、実績が無くても、興味深いチャレンジャー達の多くに門戸を開いている。
 同時に8台のリザーブリストが発表され、リザーブ1位にサルニエレーシングのペスカロロ、2位にSpartakのランボルギーニ、3位に2台目のエスカディ・イプシロンが選定されたことも、このことを裏付けている。

*総てのエントリーが下記をご覧ください。
http://www.lemans.org/24heuresdumans/ressources/pdf/liste_invites_journee_test.pdf

●2月16日
プジョーが2008年のプロジェクトを発表   セブリングへ1台、LMSは2台、ルマンは3台で

Photo:Peugeot      1992年のトヨタのSWCチームを覚えているだろうか……。

 2週間前ALMSセブリングテストで、プジョーは素晴らしいパフォーマンスを見せた。その時我々は、既にプジョーがセブリングへ参戦するのは決まっているものと思っていた。
 しかし、現在アメリカで、プジョーはほとんど販売されてないため、もし、販促を目的とするのであれば、ほとんどセブリングへ行く理由はない。そのため、アウディを破って勝つことが出来ることが、参加の条件となっていたようだ。

 セブリングテストで、ニコラス・ミナシアンの操るプジョー908は、素晴らしい速さを披露して、アラン・マクニッシュのアウディR10を破るタイムを記録したため、正式にセブリング参戦が決まったようだ。しかし、他のプライベートチームと同じように、純粋にレースを行うことを目的として、プジョーはセブリングへ行くため、1台だけでの参加となる。

 昨年ワンサイドゲームを展開したLMSには、今年アウディが登場するが、去年と同様の体制で2台の908を送り込む。
 ルマンへは、まるでアウディの行っているように、Team Peugeot Totalから2台、Peugeot Sports Totalから1台の3台が参加する。この2つのチームの何が違うのか?判らないが、実質的に同じチームであるのは間違いないだろう。

 2008年バージョンの908については、レギュレーションが変わって、最低車重が25kg軽い900kgにあったことに合わせて軽量化を行ったことだけを明かとしている。しかし、セブリングで走ったシャシーが2008年バージョンであることを明かとしているため、2007年バージョンを正常進化させたマシンで、何台かのシャシーは2007年バージョンをモデファイして作られるようだ。そのため、最も大きな違いは、新しい2種類のカラーリングかもしれない。

●2月14日
2008年モデルの997GT3RSRは5千562万円で35台限定販売   ポイントはRSスパイダー用ギアボックス

Photo:Porsche AG

 昨年フェラーリにやられっぱなしだったポルシェは、2月13日アトランタで2008年モデルの997GT3RSRを発表した。
 昨年登場した997GT3RSRの発展型であるのは変わらない。幅14インチのタイヤを使うため、フェラーリよりも100kg重い1,225kgの車重もそのままだ。3.8リットルのフラット6には、昨年と同じ29.5mm×2のリストリクターが取り付けられるが、どういう訳か、昨年より15馬力少ない465馬力と発表されている。

 改良のポイントは、空力とギアボックスだ。写真で判るように、フロントノーズには様々なカナードウイングが取り付けられている。ギアボックスは、何とRSスパイダーのものが採用されている。

 2006年997GT3RSRの開発が進められていた時、100kg重い車重と2インチ広い14インチ幅のタイヤと共に、新しいギアボックスを盛り込むことが噂されていた。

 RRの弱点であるテイルヘビーな前後の重量配分を改善するため、ポルシェは、少しでもエンジンを前よりに積もうとしようとしたようだ。通常エンジン→クラッチ→デフ/ギアボックスの順でレイアウトされている。変速された出力はギアボックスとクラッチの間にレイアウトされたデフによって左右に振り分けられる。

 よりエンジンを前よりに積むには、エンジンとデフの位置を近づけるしか方法はない。そこで、エンジンとデフの間に存在存在したクラッチをギアボックスの前に移動して、エンジン→デフ/ギアボックス→クラッチの順にレイアウトした。
 エンジンから出た出力は、ギアボックスを貫通するメインシャフトによって、ギアボックスの前にレイアウトされたクラッチに伝えられ、そこからギアボックスによって変速され、エンジンの直ぐ手前にレイアウトされるデフによって、左右に振り分けようと考えた。
 フェラーリがしばしば採用してきた方法だが、何らかの不具合があったようで、昨年デビューした997GT3RSRには、この新しいタイプのギアボックスは盛り込まれなかった。

 アトランタで発表された2008年モデルの997GT3RSRは、RSスパイダーのGR6ギアボックスを盛り込んでいる。当然RSスパイダーはミッドシップであるため、そのままRRの997GT3RSRに取り付けたら、前進1速/後進6速となってしまう。
 もちろん、エンジン→クラッチ→ギアボックス→デフの順番でレイアウトされている。

 しかし、通常の方法で997GT3RSRのM96エンジンとGR6ギアボックスを取り付けるのでなく、通常と反対のギアボックスの後ろにエンジンを取り付けるのであれば、エンジン→デフ→ギアボックス→クラッチのレイアウトとなる。
 詳しい説明をポルシェは避けたため、実際には、どうような構造となっているのか?不明だ。
 ポルシェは、2007年モデルをベースとしたアップデイトは出来ないと説明している。もしかしたら、ホモロゲイションの問題があるのかもしれないが、そうでないなら、リアフレームに相当手の込んだ開発が加えられているのだろう。

 ポルシェは、フライングラザードの997GT3RSRを使って、1月にセブリングで新しいボディとギアボックスのテストを行っている。しかし、その後行われたALMSテストにやって来なかったため、詳しいパフォーマンスは判らない。
 昨年の情けない成績によって、昨年997GT3RSRを走らせたレーシングチームの多くは、フェラーリに買い換えている。ボビー・レイホールのようにBMWを走らせるチームも存在している。そのため、2008年モデルの997GT3RSRを走らせるのは、フライングラザードとIMSAパフォーマンスだけと考えられていた。

 ところが、ポルシェは、強気の34万9,800ユーロ(約5千562万円)+各国の税の価格で35台を販売する計画を明かにしている。昨年の状況を考慮するだけでなく、多くのレーシングチームが2008年の活動を公表しているため、実際にGTレースへ登場する997GT3RSRが35台も現れるとは考え難いため、投資家に対するセールスを盛り込んだ数なのかもしれない。

●2月12日
ローラB08-60クーペ/アストンマーティン登場

Photo:Lola Cars

 1ヶ月前突然発表されたローラ/アストンマーティンが完成して、シェイクダウンを行った。
 ACOが、LMP1カーにGT1カー用エンジンを使う場合、大きなリストリクターが使える、新しいレギュレーションを発表したのは12月だった。しかし、たった1ヶ月後にはアストンマーティンとシュロースレーシングは、アストンマーティンDBR9用の6リットルV12をローラB08-60と組み合わせるプロジェクトを発表した。

 間違いなく、かなり早い段階からACOと話し合いが行われて、9月にはプロジェクトがスタートしていたのだろうが、元々AERのV8ターボエンジンを積むつもりだったローラの“屋根付き”のB08-60が宙に浮いていたことも、計画が急速に進められた理由だったことだろう。

 その結果、予想より大幅に早くローラ/アストンマーティンは完成して、2月9日プロドライブの敷地内でヤン・シュロースのドライブによってシェイクダウンテストを行った。
 チームは月曜日にスネッタートンに移動して、現在月曜と火曜日の2日間の予定で、本格的なテストを行っている。

 このことでも明かなように、このプロジェクトは、多くの部分がプロドライブによって行われている。実際のレースオペレーションもプロドライブによって行われることが予想されている。
 3月2〜3日のポールリカールテストで、そのポテンシャルが明かとなるだろう。

●2月5日
2008年LMS最終戦は11月2日の上海に決定

Photo:Sports-Car Racing

 昨年公表したように、ACOは、2008年のLMS最終戦を上海で行うため、話し合いを行っていた。しかし、昨年ブラジルでLMSを行った際、様々な問題が発生したため、非常に慎重に話し合いは行われていた。

 第一、ブラジルの主催者の間で、金銭的な問題は解決した訳ではないようだ。詳細は不明ながら、ブラジルの主催者は、ACOの要求通り、2007年の資金を支払うことの条件として、2008年の開催を求めていたようだ。
 そのため、12月末には、ほとんど上海での開催が決まっていながら、カレンダーを発表することが出来なかった。

 昨日ACOは、11月1〜2日に上海でLMS最終戦を行うことを発表した。
 ACOによると、「アメリカとヨーロッパでのACOの総てのイベントが終了した後、アジアで行うイベント」と表現しているため、LMS最終戦と言うより、2008年の総てのACOのイベントの最終戦と言う位置づけなのかもしれない。

 2009年秋には、日本の富士スピードウェイと上海で連続して開催されることとなるだろう。

●2月2日
アウディはLMS参戦を確定 ALMSはどうする?

Photo:Sports-Car Racing

 今週セブリングでALMSテストが行われている時、インゴルシュタッドでアウディは、2008年のLMSへシーズンを通して参戦することを発表した。
 参戦体制は、噂通りヨーストを中心としたアウディ・スポーツ・ヨーストが2台のR10を走らせる。ドライバーは、アラン・マクニッシュとリナンド・カペロ、アレクサンダー・プレマとマイク・ロッケンフェラーのペアだ。
 これによって、2008年のアウディは、ルマンとLMSのヨーロッパでの活動は確定した。
 しかし、昨年12月に発表したALMSへの参戦は、非常に難しい状況となっている。

 現在でも、4月5日と6日はALMS第2戦StピータースバーグとLMS第1戦バルセロナが、4月26日と27日はALMS第3戦ヒューストンとLMS第2戦モンツァのカレンダーがバッティングしたままなのだ。
 セブリングテストの際、アウディかスコット・アタートンが、この問題を解決するヒントを明かにすると思われていた。しかし、何も解決策を見出すことは出来ないようで、何も発言することはなかった。

 昨年9月にALMSはカレンダーを公表している。その際、既に市街地公道レースとして行われるStピータースバーグ、ロングビーチ、ヒューストンを実現するため、それぞれの自治体の全面的な協力を得ていることを明かとしていた。
 つまり、Stピータースバーグとヒューストンのカレンダーを変更するのであれば、それぞれの自治体の年間のスケジュールを変更しなければならない。事実上変更するのが不可能であるのは明かだろう。

 そのため、アウディが、アメリカとヨーロッパのどちらを選ぶか?興味が集まっていた。しかし、LMS参戦を発表したことで、ALMSは非常に難しい状況となっている。

 もし、アウディがALMS参戦をキャンセルした場合、P1クラスの有力なエントリーは無くなってしまうのだ。
 ポルシェとアキュラのP2カーが常にトップ争いを繰り広げて、インタースポーツとCytosportのP1ローラが総合9位か10位と共にP1クラス優勝を争うことになるだろう。このチープな状況を納得出来るだろうか?

 取り敢えず、3月15日に行われるALMS開幕戦セブリング12時間は、何処ともバッティングしていないため、アウディだけでなくプジョーも参戦する。現在のところ、それまでアウディのALMSプログラムは決定出来ないと考えられている。

 LMS側は、バルセロナとモンツァのカレンダーを変更しないことを明言しているため、アウディがALMSプログラムを実現するには、もう1つのチームを用意するしかないと思われる。
 元々、2008年のALMSプログラムは、チャンピオンを中心とした体制で行われて、ドライバーとエンジニアだけが、ヨーロッパとアメリカを行き来すると思われていた。つまり、LMSを闘うのとは違う4人のドライバーをアウディが用意出来るおであれば、ALMSプログラムは可能となる。

 しかし、エマニュエレ・ピロとフランク・ビエラは事実上引退を宣言しているため、現在残っているドライバーは、トム・クリステンセンとマルコ・ヴェルナーしか居ない。去年の“プチ-ルマン”のようにルーカス・ロールを勧誘するとしても、DTMはALMSと4回もバッティングしているのだ。現実的な選択として、Stピータースバーグとヒューストンだけ、トム・クリステンセン、マルコ・ヴェルナー、ルーカス・ロールの3人と、エマニュエレ・ピロとフランク・ビエラのどちらか1人によって参戦して、他のレースは、LMSと同じ体制として、アウディは参戦するしか、選択枝はないだろう。



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