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Sports-Car Racing Vol.16
●GT Racing like Vee Twelve
V12に固執するGTレース
1998年末、たった2年でFIAGTはGT1カーを失ってしまった。
その結果、ORECAの走らせるクライスラー・ヴァイパーを除くと、総てがプライベートチームの古くさいポルシェ911GT2が走るGT2クラスと、ほとんどがアマチュアのGT3カーのクラスだけとなった。
GT1クラスが消滅したため、一応GT2の名前をGTに改め、GT3クラスはN-GTを名乗ったが、誰の目にも貧相なシリーズだった。
元々スポーツカーレースに対して、誰もがイメージするのは、V12を積むフェラーリだ。そう、GTレースはフェラーリを求めていた。
それ以前のスポーツカーレースは、フェラーリ信者達にとって、ポルシェに席巻された、亜流の存在に思えたかもしれない。GT1カーの消滅を切っ掛けとして、V12を積んだフェラーリをGTレースに登場させようとする機運が高まった。
そうして、この物語は始まった。
最初、フェラーリ信者達は、手近なファーストレーシングやイタルテクニカと手を組んで、フェラーリ550を送り出した。しかし、このようなお手軽な方法では、何時までたって立っても、クライスラー・ヴァイパーに勝てないことが明らかとなると、フレデリック・ドールを中心としたグループは、デビッド・リチャーズのプロドライブによって、最高のフェラーリ550GTレースカーを開発することを思いついた。
フレデリック・ドールの計画は巧妙だった。
そうして誕生したCARE550GTSは大活躍を披露することとなった。
プロドライブ製のCARE550GTSが活躍するようになると、フェラーリ本体もGTレースに乗り出してきた。その結果フェラーリは、アウトデルタの流れをくむNテクノロジーに委託して575GTCを作り上げた。ホモロゲイション申請を行うことが出来るマニファクチュラーであるフェラーリ本体が実行したプロジェクトであることから、575GTCは、素晴らしい活躍を披露すると思われていた。
ところが、575GTCは、有能なプロドライブが作ったCARE550GTSに次々と破れてしまった。
フェラーリにとって、575GTCは、カスタマーサポートの1つに過ぎなかった。元々フェラーリは、FIAとの話し合いに基づいて、GT1カーの正当な後継車を開発していた。それがマセラッティMC12だった。
ところが、実情を無視した、マックス・モズレーのスーパーカー構想に呆れたマニファクチュラーは、次々とプロジェクトを放棄したため、フェラーリだけが残ってしまった。フェラーリ自身も、FIAを無視してマセラッティMC12の開発を進めたことから、2004年に完成したマセラッティMC12は、世界中のどのGTレギュレーションにも合致しない、特異な存在となってしまった。
このような状況の中、プロドライブは、フェラーリと並んで、スポーツカーレースファンの支持を集める、アストンマーティンと話し合いを行っていた。もちろん、アストンマーティンとの話し合いであることから、フレデリック・ドールの居ないプロジェクトだった。
そうして、アストンマーティンがGTレースに復活する。
V12エンジンを積んだGTレースカー中心として、回り続けるGTレースの壮大な物語を堪能してください。
●童夢の挑戦
2005年ルマンへ1つもファクトリーチームが参加しないことを知った林みのるは、童夢自身で再びルマンへ挑戦することを決心した。
林みのるが決心したもう1つの理由は、2005年、2004年に施行されたルマンの新しいレギュレーションが、実際に機能する最初の年だったからだ。ルマンで成功を目論むのであれば、新しいレギュレーションに従ってニューマシンを開発する必要があった。新しいレギュレーションの研究のため、風洞実験をを繰り返していあっため、童夢は充分なパフォーマンスを発揮出来る自信があった。
そうして、S101-Hbプロジェクトがスタートした。
今日に続く、童夢が本気でルマンを狙ったきっかけの物語です。
●ACOが仕組んだ落とし穴
新しい2004年レギュレーションに従ったP1カーがなかなか登場しないことから、2005年ACOは、新しい2004年レギュレーションに従って作られたP1カーと、2003年以前のレギュレーションに従って作られたLMP900カーの間に100馬力の差を設けることとなった。
そのため、次々と2004年レギュレーションに従ったマシンが登場した。しかし、ルマンで勝ったのは、100馬力少ないアウディだった。
速さは示しても、ペスカロロや童夢は、アウディに破れてしまった。
ACOは、2004年レギュレーションに巧妙な罠をしかけていた。どんにに童夢やペスカロロのエンジニアが優秀だったとしても、ACOが仕組んだ罠を、直ぐに解明することは出来なかった。
いったい、何が起こっていたのだろうか?
●我が道を歩むニッポンGT
SUPER GTはインターナショナルか?
JAFの管轄を外れて、インターナショナルシリーズとして再スタートをきったSUPER
GTは、最初の年から苦労させられることとなった。
独自にジャッジをするため、レースダイレクターを設けても、GTAが任命したジェフ・アミンは、ほとんど権限を与えられなかった。
新たな道を歩み始めたニッポンGTの行方をご覧ください。
●AUDI R10
ディーゼルエンジンレースカーの登場
どうして、アウディは“屋根無し”でR10を作ったのか?
とうとうアウディは、5.5リットルV12ディーゼルターボエンジンを積んだR10を登場させた。もちろん、最大の特徴は、巨大なディーゼルターボエンジンを積むことだった。大きく重くなるのを承知で、アウディは90度のバンク角で5.5リットルV12を作り上げた。慎重な開発によって、高性能を発揮しても、巨大なV12は250kgもあった。
もう1つのポイントは、R10が、2004年レギュレーションに基づき、有能なエンジニアが、完全に新しく開発した最初の例だったことだ。
巨大なV12を積むとしても、異常に長いホイールベースを持つだけでなく、何と“屋根無し”でアウディはR10を登場させた。
R10の謎に挑んだ特集をご覧ください。
Sports-Car Racing
Vol.16のコード番号:ISBN4-925254-11-1
価格2,310円(本体2,200円)
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